陶芸家 清水善行さんの仕事と暮らしは、まさに一体化していて1つの美しいかたちを作っていました。
寒さが厳しく乾燥している冬の間に木を切り倒し、薪を作る。そして、初春から春にかけて作陶し、夏前に窯焚き窯出しし、作品を仕上げる。
これだけ聞くと、少しのんびりした田舎生活を想像してしまいがちでしたが、実際に伺ってみるとびっくりするほど仕事って(というか生きるためにすることも)あるものです。
土を探して掘り、練る、もちろん年に数回の展示会やイベント、その準備も在廊もあります。
それだけでなく、ご自宅・工房は古民家をリノベーションしたもの、ギャラリーARABON は廃校になった学校のプールサイドに佇む小屋を改装したもので、修復作業なども含めすべてご自分でされています。
暖房器具や机など、清水さんの周りはご自身の手で作られたものに囲まれています。
今年は工房を移設するために、新たなリノベーションも考えているそう。知り合いの建築家にラインだけ引いてもらい、あとは全て自分でするというから驚きです。
ご自宅・工房・ギャラリー共に豊かな自然の中にあるため、少し目を離せば雑草は伸びてくるし、雨漏りしたり、虫が湧いたり。自然との共存は自然との戦いでもあります。
今回の研修合宿は草むしりから始まりました(笑)
ここ山城村 童仙房は、明治時代に国がある程度まで土地や建物を用意して開拓し直して500人程が入植。
宇治にも近く茶畑を営む家が多かったのですが、標高が400〜500メートルと高く、自然条件が厳しいため入植者には離村する者も多くいたとのこと。
「開拓団が入植した時の童仙房には焼き物を作る人々もいて、童仙房焼というものがあったの。でも、車もない時代にここで作陶しても、売りに持っていくのが大変だよね。冬は気温が−10度くらいになるし、4年足らずで逃げちゃったらしいけどね。」と清水さんが教えてくれました。
清水さんがこの土地で作陶を始めたのは20代後半の頃。母親の知り合いとのたまたま良い出会いに恵まれてここの地に流れ着き、今の工房を借りて移り住んだんだそう。
薪の窯で作りたいと思っていた清水さんにとって、煙も出せるし場所も広く使えるし最適な場所だった。
7.8年前からは、ここ童仙房の土を掘って作陶も。向かいに住む土建屋の方から粘土があると教えてもらい、掘り出してもらった土で作った作品もあるそうです。
そういった地元の方々との出会いの中で焼き物が作れることが嬉しい、と笑顔で語ってくれました。
石や砂利が混ざっていたり、陶芸に向いた良質な粘土質の土がなくても、それでも土の癖をその土地で活かす、ということは昔から行われていたこと。
清水さんは、そんなあえて困難の多い中で作陶をすることで、かつてのその土地の人々の生活や文化の記憶を呼び起こし、想いを馳せながら今に表現しているように感じます。
もちろん、焼き物を焼くための穴窯も清水さんの自作。穴を掘り進めていく過程で出てきた土で作った煉瓦も含めて、全てが手作りです。
勉強していた黒牟田焼は登り窯だったので、登り窯で勉強して、独立するときは登り窯よりもうひとつ古い形式の穴窯を半年かけて作ったんだそう。
その、1つ戻って原点からというのも清水さんらしいところのように思います。
中に入ってみましたが、驚くほど奥行きがあり、クマが数頭冬眠できるような穴ぐら、というか洞窟のようでした。
電気窯などで数回焼くことを除いて、一度に1000個以上もの焼き物が焼ける窯焚きは年に1回のみ。
残念ながら、私は今回窯焚きや窯出しは見ることができませんでしたが、近所から友人が集まって手伝いをしてくれたり、金沢から友人のシェフがケータリングに来てくれたことも。
そんな一大イベントに、来年こそ参加させていただきたいです。
清水さんのここ最近のブームは須恵の器。
古墳時代の前半までは、素焼きの土器(土師器[はじき])を使っていましたが、大陸から入った轆轤と穴窯焼成の技術を使い、古墳時代から奈良時代に盛んに焼かれていた須恵器。
それまでの土師器は屋外で焼いていたので、温度が500~900度までしか上がらず、赤みを帯びた軟らかい土器でした。
須恵器は窯を使って焼くため、1100~1200度という高温で焼くことができ、硬く、水もれの少ない土器を作ることができる。
この須恵器はどこででも生産されていたわけではなく、窯の場所が限られていて、須恵器を作る専門の職人がいたそうです。
仕上がりは落ち着きのあるマットな青っぽい灰色に。
須恵の器は、見た目は石のようで素朴な見た目ですが、使い込むほどに肌触りが滑らかに、艶が出てくるとのこと。
須恵に焦点を当てつつ物作りをしてはいるが、そこに焦点を当てすぎずにこだわりすぎてはいけない、とも思っているそう。
「私にとって、焼き物というものはコミュニケーションツールなんです。これがあるからこそ人との出会いや繋がりがある。焼き物はすでにそれぞれのご家庭にはそれなりの道具として行き渡っているので、なにかがないかぎりは、もう一つ家に持って帰ろうって思ってくださるってことはないわけです。」
作陶していたらこだわって当たり前、そしてそのこだわりはどんどん強くなって当たり前。
でも、できるだけ自由でこだわりすぎない、独りよがりではない物作りをすることで、誰かの心の壁にひっかるものを作る、ということを大切にしているとのこと。
なるほど、清水さんの作品たちの中には、一目見ただけでは用途が定められない大きさや形の器がたくさんあります。
そこが清水さんの焼き物のコミュニケーションの一つであり、魅力なのだと感じています。
身の周りのこともできるだけ自分たちの力と工夫で行いながら、焼き物も素材から始まって、かたちを作って、窯で焼くまでの工程も昔ながらの方法で行なっている清水さん。
昔の陶芸家もそんな中で知恵をしぼり、創意工夫しながら作陶していた、そこにある魅力はなんなのか、そんなことを考えながら作陶を続けているんだそうです。
たった数日の間ではありましたが、その生活を覗かせていただいて、焼き物と真摯に向き合いながら暮らしていらっしゃるのをとても深く感じました。