ヤマタイカ

 

訪れてみたいと思っているいくつかの候補地の中から、藤本さんの「芭蕉の家」を目指して導かれるようにふらりと訪れた沖縄ですが、斎場御嶽には再訪しようとぼんやりと決めていました。

 

 

とはいえ、ほぼ4日間のスケジュールで決めていたのはこれだけ。もちろん、行ってみたいレストランだけは早々に電話したのですが、びっくりすることに全滅してしまい、幸か不幸か本当にふらり沖縄の旅になりました。

 

 

以前に訪れた藍染工房の「藍風」に再訪して、植えるお手伝いをした藍の成長を見ようかなとも思いながら、北に車を走らせ今帰仁城跡に。今年5月に訪れた際に、滞在時間20分というタイムスケジュールだったため不完全燃焼だったから、今回はじっくりと解説付きでまわろうとガイドを頼むことに。そして、ここで出会ったガイド大城さんのお話しで今回の旅の方向性が一気に固まっていきます。

 

 

千数百年前、遥か遠い東の海の彼方の異界であるニライカナイからやってきた神「アマミキヨ」によって作られたとされる琉球の国土。その神話に基づく信仰と歴史を伝えるのが沖縄県各所に残る「聖地」と呼ばれる御嶽。今でも現地の人々に厚く信仰され、大切に守られている聖地です。

 

今帰仁城跡の中にも御嶽はあるのですが、見学する前にその西側に臨むクバ御嶽にご挨拶に行くことに。「すぐそこだよ!そんなに急な道じゃないよ。」っていう言葉に騙され(笑)ここ道なの?と疑うような山道をひたすら15分登る。おびただしい数のモスキートアタックにもめげずに、なんとかたどり着いたその先は洞窟のような場所でした。

 

 

クバ御嶽は二つの峰からなる山全体が聖域で、沖縄最大の御嶽。面積は4万2千坪もあるといわれ、聖域全体が深く生茂る樹木で覆われています。琉球七御嶽の一つで、琉球創成神話にも登場し、琉球の創造神「アマミキヨ」が降臨した土地なのだといいます。

 

「クバ」は亜熱帯の植物で「蒲葵」と書き、学名を「ビロウ」といい、多くの御嶽では神木としてイビ(神域)の後ろに蒲葵の高木があるそう。祖霊神は祭祀、祭礼の呼びかけに応じてこの蒲葵の木を足掛かりにしてこの世に降り立って来ると言われています。

 

 

御嶽と言われる場所には、必ず煉瓦のような石の塊があります。御嶽には神社仏閣のような建物はなく、この石=香炉が置かれた拝所(うがんじゅ)が祈りを捧げる場所。雄大な自然の中にあり、感謝の気持ちが湧き上がり、生かされていることを感じさせる場所です。

 

 

前々回、日本古代からのアマニズム信仰について少し書きましたが、日本大百科全書で御嶽とは、

 

「鹿児島県奄美(あまみ)諸島と沖縄県で、神社に相当する聖地をいう。森(もり)あるいはオガミともいい、一般に「御嶽」とよばれる。たいていは樹叢(じゅそう)をなし、本殿にあたる神聖な部分をイベ、ウブなどといい、樹木や岩石を祀る。礼拝や祭儀は、その前方の拝殿にあたる場所で行う。今日では、屋根と祭壇を設けた拝殿ができている御嶽もある。神を祀るところをすべて御嶽と称する傾向があるが、オタケの名のとおり、奈良県の三輪山(みわやま)などのように、土地を鎮護する神を山岳に祀る信仰に由来するらしい。移住先などに遙拝(ようはい)のための御嶽をつくる習慣もあり、御嶽の変貌を促しているが、現に山頂をイベとし、麓に礼拝所を置く御嶽もある。」

 

とされています。

 

 

お金をかけて立派な建造物を作らなくても、山に、木に、自然の中のそれぞれに神がいて、教典や具体的な教えはなく、開祖もおらず、神話、八百万の神、自然現象などにもとづくアニミズム的な考え方は、とても素晴らしいと思います。

 

 

琉球王国の中でも高位の聖地と言われている斎場御嶽を訪れた際には、家族で熱心に祈りを捧げている光景を目にしました。御嶽の奥にある寄満(ゆいんち)で、こちらも首里城の部屋と同じ名前を持つ拝所です。

 

 

琉球開闢伝説(琉球王国の成立に関する伝説)にも現れる琉球七大御獄は、こちら。

 

今帰仁村「クバ御嶽」

南城市の世界遺産「斎場御嶽」

南城市「藪薩御嶽」と「玉城アマツギの御嶽」

沖縄本島北端辺戸岬の「安須森(あしむい)」こと「辺戸御嶽」

久高島「フボー御嶽」

首里城「首里森御嶽」

 

 

斎場御嶽は、琉球王国時代に「神の島」といわれる久高島から聖なる白い砂を運び込み、御嶽全体に敷き詰めて国家の祭事を行っていたといいます。月明かりで白く光る砂はを敷き詰めることでそこに光が集まり、神々しいスポットに見えたのだろうと思います。久高島に向かう船から砂浜が見えるのですが、全ての光を集めてしまうのではないかと思うほど眩いほどの神聖な輝きを放っていました。

 

 

斎場御嶽の道々には、「神の島」を望めるスポットがいくつかあります。ここは一番奥にある「久高島遥拝所」。琉球王国の国王は絶対的な存在で太陽と位置付けられ、その太陽が昇る方向にある久高島は、東方楽土ニライカナイへのお通し所として沖縄各地から崇拝されてきました。

 

 

首里と久高島をつなぐという意味においても、久高島の姿を臨める斎場御嶽は琉球王国の重要な祭事の場だったのです。

 

斎場御嶽のガイドさんに久高島に行く予定だと告げると、イザイホーという久高島出身の女性にしか参加権利がないお祭りがあること、そのお祭りは該当者がいないために、もう40年も行われていないことなど、資料とともに説明してくれました。

 

 

そして、ガイドさんが中学生の時に沖縄が日本に返還され、ドルで生活をしていたのに急に円に変わったこと。1ドル360円時代だったから、金銭感覚がおかしくなってしまったこと。左ハンドルから右ハンドルに変わり、道路も逆通行に変わリ、馴染むのに大変だったこと…神の話と現実を同時に突きつけられ、この歴史の中に数えきれないほど変化の過程があることに思いを馳せながら、久高島に向かうことに。

 

 

久高島に着くと、すぐに雨がパラパラと。昔、神社巡りをしていた時に「到着と同時に降る雨は歓迎の雨だよ。そこまでの疲れや汚れを落としてくれるものだから良い雨なの。」と教わったこともありワクワクしました。すると本当に挨拶の雨だったかのように、幸運なことにものの5分で雨が上がり、早速自転車で島を散策。

 

 

ここ、久高島は神の島というだけあり、レジャー施設がなく、土地も借地権のみで神様の持ち物とされているとのこと。言葉で説明できないほど気持ちのいい、美味しい空気で身体が軽くなります。

 

 

向かったのは島の中心部ににある、最高の霊地であるフボー御嶽。斎場御嶽と同じく御嶽の最上位に位置するフボー御嶽は、先祖の魂が宿る「聖地」として草木の一本も獲ることが許されず、島の神女が祭祀時にのみ入れる場所です。もちろん男子禁制。「琉球国王でさえ立ち入ることが許されなかったこの御嶽は、たとえ権力者であっても御嶽内に入ることはしなかったほどその影響力が強い聖地。

 

 

看板に記載されている言葉、『何人たりとも出入りを禁じます。』に神聖な場所だからこそ大切に守られているのが伝わってきます。

 

 

神社や教会、モスクなど人が祈りを捧げる場所は、とても美しいと感じるので大好きです。ただ、やはり壮大な自然の中で、自然に対して祈りを捧げるというのは格別に美しく感じます。

 

こちらは久高御殿庭。左からカミアシャギ、シラタルー拝殿、奥には神聖な森が広がる久高御殿はイザイホーと呼ばれる祭祀が行われる主祭場。

 

 

斎場御嶽でガイドさんの説明を受けましたが、イザイホーとは久高島で生まれ育った既婚女性が神女となるための就任儀礼で、12年に1度午年に開かれていたそう。イザイホーの際にはカミアシャギの奥の森「イザイヤマ」に女性達が籠り、祖先の霊力を授かり神女として生まれ変わるという重要な儀式。ちなみにイザイヤマは聖域とされているので一切立ち入りが禁止されています。

 

 

写真にはないのですが、この左にタルガナーと呼ばれるイラブー(海蛇)の燻製小屋があります。イラブー漁は久高家と外間家が採取権を持っていることからこの建物で管理するのが慣習となっています。燻製にされる前の海蛇を見せてもらいました。びっくりすることに、海蛇たちは猫が威嚇する時に出す声のように「シャー」と小さな声で言いながらとぐろを巻いていました……。久高島では海蛇のスープをいただくことができます。もちろん、怖すぎていただけませんでした。

 

 

久高島は、長年の時を経て伝統を継承し続けています。自然と調和して生活する人々が、万物や神への感謝を忘れずに暮らしていることの表れでもあります。パワースポット、聖地と言われているのも、ここに暮らす人々の心があってこそだと思います。

 

短い久高島の滞在時間でしたが、心が澄み渡るような晴れ晴れとした気分で本島に戻りました。そして、ここから「アマミキヨ」の足取りを追うように、彼女が降り立ったとされる「ヤハラヅカサ」へ。ここ「ヤハラヅカサ」は、琉球開闢神「アマミキヨ」が「ニライカナイ」から渡来し、久高島に降り立ち、次に沖縄本島に降り立った最初の地と伝えられています。

 

 

「ヤハラヅカサ」は琉球石灰岩でつくられた石碑で、石碑の下の部分にはいつの頃からか香炉が設けられています。満潮時には海中に没して見えなくなり、干潮時に全貌を現します。干潮のときでなければ間近で拝むことができません。この日は少しだけ足を濡らせば、近くまで行けるという状況でしたが、なんだか恐れ多くてこちら側からご挨拶とお礼を。

 

 

振り向くと、すぐ後ろにある「浜川御嶽」。「アマミキヨ」はここを仮住まいにしたということです。この御嶽は百名ビーチ北端の崖上に鎮座しています。周囲は南国特有の鬱蒼とした亜熱帯樹林で、御嶽に近づくにつれ聖地の神聖な雰囲気が強く感じられます。私が訪れた時も遥拝所では熱心に参拝する地元の方がいらっしゃいました。

 

 

思いがけず御嶽巡りになった今回の沖縄の旅。神話だとわかっていても、神様を擬人化して人としての人格やイメージを重ねてしまう。神話は、お伽話のようでもあり、語り継がれてきた歴史の一部であるけれど、実際にあったことを誇張して教訓のように語り継がれた部分もあるんだと思います。

 

 

ほとんどの場所では、伝説の地も神社が建ったり、区画整理されてビルが建ったりと跡形もない。沖縄の神話たちは、少し観光地化されている場所もありますが、まだまだ貴重な自然が残されています。ここで、先人や私たちの周りにある大自然に思いを馳せ、祈りを捧げることができのは、とても幸せなことだなと。残すべき尊いものをきちんと見分けられる目を養っていきたいものです。

 

 

神話のおもしろさに目覚め、私たちに大切さなことを教えてくれる存在だと改めて思い、買ったのに手をつけていなかった漫画「ヤマタイカ」を読み始めました。

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