日本中がそわそわしていたゴールデンウィーク直前のこと。阪急百貨店の催事「藍ism」の開催にあたり、取材レポートのご依頼をいただいて徳島に行くことになりました。
徳島の「藍染」と聞いて真っ先に思い出したのは、友人のSNSで見かけた「BUAISOU」という藍のアーティスト集団。
県外から徳島に移り住み、藍の栽培から染料となるすくも造り、染め、デザイン、縫製……製品までを一貫して自分たちで行なっている彼らの言動や商品たちは、ストリートブランドに携わっていた私の心をくすぐりました。
彼らは海外での活動も盛んに行っていて、伝統をスマートに文化に落とし込み広げている。しかも、表向きはさらりとクールに。
藍の新しいカタチをより鮮やかに生み出そうという情熱が、新たな波を起こしている、そう感じます。
とはいえ、藍に関してはほとんど無知な私。徳島での新たな出会いに心を躍らせながら、もっと藍を深く掘り下げたいと藍や染め物に関する本やサイトを読み漁りました。
藍が日本に伝わったのは、飛鳥時代から奈良時代と言われています。
藍は他の草木染めの染料とは違い、あらゆる繊維によく染着するだけでなく、洗濯にも強く防虫効果もあり、強い日差しでも退色しずらい堅牢な性質を持った優れた染料。
高貴な人々の絹のような衣装にも彩を与え、麻や綿など庶民的な衣料もよく染まるという点が広く普及した理由の一つとも言えそうです。
よくこんな方法を見出したな……先人たちの鋭い視点や創造性には頭が上がりません。
さらに、染料としてはもちろんのこと、薬として伝わってきたといくつかの文献で読みました。諸毒を解し、五臓六腑を整える……などかなりの薬効があったようです。
徳島を訪れる数日前、私は佐賀県 唐津で陶芸家の作家さんをめぐる旅をしていました。
沖縄に出張中の友人たちから「九州にいるなら、沖縄においでよ!」というバックリとしたお誘いを受け、私も、まぁせっかくだしと朝一の飛行機で沖縄へ。
早朝に那覇空港に降り立ち、到着の連絡をしたところ「あと20分で出かけちゃうよ!」との返事。なんと1泊2日の弾丸で沖縄まで会いに来たものの、夜まで完全にお1人様フリータイム。
それなら行ったことのない今帰仁村の方に行ってみよう、と1人車を北に走らせました。
ドライブの途中、友人からの「藍風」という琉球藍で有名なお店があるらしいよとのお知らせ。
位置を確認したら目と鼻の先!これも何かの縁かもしれないと弾丸で尋ねてみることにしました。
「藍風」で工房を見せていただけることになったのは、幸いの序の口でした。
なんとこれから「藍建て」をするとのことで、見学させていただけることに。
沖縄の藍はキツネノマゴ科の多年草で「琉球藍」と呼ばれています。一方で、徳島の藍は「タデ藍」というタデ科の一年草のこと。琉球藍とタデ藍は見た目がそっくりですが、染料の製法が違います。。
徳島では「すくも」という藍の葉を乾燥・発酵させたものを使いますが、沖縄では藍を泥状にする「泥藍」を使います。
藍建てとは、すくもや泥藍と呼ばれる染料と、木灰からとったアルカリの液、そこに菌の活動を助けるために日本酒などを加えよく混ぜ合わせます。ここ、沖縄では泡盛を加えていました。
その後、最適な温度を保つことで発酵が進み、初めて染液が出来るのです。
はじめましての「泥藍」は、魚介の塩辛のような香り。発酵と化学反応とは聞いていたものの、湿った土のような匂いがすると思っていたので衝撃でした。
藍建てが終わり、徳島の藍との違いなどを話していると、さらに「これから畑を耕して、藍を植えるから見ていく?」と。
沖縄空港に降り立ってわずか3時間後、私は鍬を持ち、藍を植えるために畑を耕していたのです。ラッキーすぎる急展開に嬉しくてちょっと小躍りしました。
少し前に会ったばかりの初対面の人々と力を合わせて畑を耕し、藍を植えること1時間ちょっと。
短い時間でしたが、お互いに自己紹介や世間話などしながら、藍の話を。すると不思議なことに、ここにいるのが当たり前のような感覚になっていたのです。
身体を動かしながら、自分の手で何かを作ること大切さを改めて感じていました。
自分の手に渡るまでの経緯をできるだけ知るようにしよう。当たり前の生活に、もっと感謝と疑問を持とう。
そして、私たちは「収穫には、また集まろう」と約束をして、国頭郡を跡にしました。
藍染めをしている人たちの多くは、手に青い染料が染み込んでいます。
長く染色をしていると、洗っても落ちなくなってくるそうです。まるで、手と藍が同化しているかのよう。
今回の催事「藍ism」でも様々な作家さんとお会いしましたが、藍色に染まった手で丁寧に接客してくれる方が多いのが印象的でした。
ものづくりへの姿勢、伝統、美学……丁寧な手仕事をしている人は、その人の仕事が手に現れますね。