繫いでいくこと。

先週は、数ヶ月ぶりの福岡そして数年ぶりの岡山へ。

 

出張先や旅先では、その土地ならではの自然を訪れることや食はもちろん、その土地に暮らす人と会ってお話しをするのがなによりきで、大切にしていること。

 

そしてできるだけ時間を見つけてはその土地の神社やお寺、教会やモスクなどを訪れます。その土地の歴史や文化をダイレクトに感じられるという理由あるけれど、なにより人が祈りを捧げる場所ってとても美しと思うです

 

ランチからの約束の前のお参りに間に合うように3に起き6時の飛行機で福岡入りし、電車とバスを乗り継ぎ朝の空気が清々しい宗像大社へ。

 

そして、次の日も早朝から岡山に入り、初めましての吉備津神社に。

 

いつもはものぐさな私を、睡眠時間を削り苦手な電車を乗り継いでも向かいたい!と思わせてくれる神社やお寺は、それだけでやはりすごいパワーを感じざるを得ない

吉備津神社は桃太郎伝説のモデルとしても有名ですが、古代からが宿ると言われている吉備中山を後ろに控えた場所にある幾多の伝説を生んだ歴史ある神社足利義満造営とされている本殿は独特の比翼入母屋造といって拝殿とともに国宝です。

 

比翼入母屋造とは入母屋造2棟を1棟に結合した建築様式のことらしい。調べてみても、神社建築の基礎が全くない私には頭の中に「?」が散乱しただけだったのですが、追って調べていくと入母造の屋根とは簡単にいうと上部の山形の形状の屋根がついている造りのことだそう

 

写真でもわかるように吉備津神社には2つあるので比翼入母屋造というそうです。この比翼入母屋造とても珍しく他に例を見ないため吉備津造ともいい、それが国宝指定されている大きな理由の1つだといいます。

 

吉備津神社では重要文化財でもある北随神門の保存修理工事の真っ最中でしたが、訪れた日は運よく修理現場を説明していただきながら見学できる日でした。

 

北随神門は、一重の門で本柱四本の前後にそれぞれ控え柱が合わせて八本ある三間一戸八脚門、入母屋造、檜皮葺の建物。建立年代は天文11年(1542年)室町時代後期の再建と考えられていて、均整のとれた美しい姿や細部意匠の優秀さが評価され、国の文化財に指定されています。

 

見ることはできませんでしたが、両脇間には大吉備津大神の随神である日藝麿(ひげまろ)と夜目麿(やめまろ)られています。

 

この日は、去年の12月から始まった屋根葺き替えと塗装修理について職員の方や職人さん丁寧に説明してくださいました柱や板壁の木部補修は完了していて塗装の直しをしている最中とのことでしたが、この日は檜皮葺屋根の葺き替えは最盛期で平葺作業を行なっているところでした。

 

檜皮が朽ちて雑草が生えてしまっている修繕前の写真(「いいまち」https://www.iimachi.jp/kibitsu2/

 

檜皮葺とは樹齢100年ほどの檜の木から皮を剥ぎ取って使用し屋根を葺く工法。まだ生えている木から組織を傷つけずに皮だけ剥ぎ取ることで、10年周期で定期的に採取することができるそう。

 

檜皮葺で使われるものの多くは杉か檜かのどちらかで、檜皮は定期的に採取できること、皮の脂分の多さや繊維の強靭さにおいて優れている。とは言っても、皮を採取するのにふさわしい樹齢の檜が全国的に不足していて材料調達が難しく、日本各地から取り寄せて行っているとのことでした。

 


 

集めた檜皮のままでは屋根の葺き替えに使用することが出来ないので、葺師と呼ばれる職人の手によって使用部位ごとに様々な形さに加工して神社へと搬入されます。そして、加工された檜皮葺師が屋根金槌という特殊な金槌を用いて、竹で作った釘で丁寧に固定していきます。

 

1つ1釘を取り出して固定していては時間がかかるということで木釘をいっぱいに含み、舌を使って向きを整えて1本ずつ口から出して驚きの速さで打ち付けていきます。

 

目の前でびっくりする早業を見せていただいたのですが、それでも1日にできる量は数十センチ。この屋根を全て葺くには半年以上の時間を要すると聞いて、質問ばかりしてしまって申し訳ない気持ちになりました。

 

檜皮葺の耐用年数は環境によって異なるとはいうものの、30年から40年。こんなに時間をかけて丁寧な修理をしているのに、短いといえば短く感じます。でも、適切な時期に吹き替えを行うことで、建物本体の破損を最小限にすることができ、建物本体の寿命を長くすることができるのだそうです。

古くなった檜皮の撤去はただ処理するだけでなく修繕するための調査をしながら行う、それを聞いて、なるほどと思いました。

 

塗装に使用する塗料も、テクノロジーを駆使して昔ながらの方法を調べてアップデートしたもの。馬の皮を煮込んで煮詰めてゼラチン質のものを抽出したもので作られた糊のようなものを接着剤の役割にし、顔料粉と混ぜ合わせて塗料として用いているとのこと。

 

酸化鉄顔料の「弁柄」と四酸化三鉛の鉛丹という赤い顔料をを混ぜ合わせ色味の調整をして塗っていくのも成分を分析した結果にきちんと基づいているのです。

 

ただ古いから良い、歴史があるから良いというわけではなく、今の私たちが立っている場所は巨人の肩の上だということを忘れないようにしないといけないと思うのです。今の場所にいられるということは、先人たちの歴史と経験がある。ルーツや経過を知っていることと知らないことは大きく違うと思います。肩の上にいるからこそ、未来や次の世代を見つめることができるのだと感じています

 

修繕工事とは言っても直すだけではなく、知らなかった重要な事実や貴重な気づきを与えてくれる、私たちにとって大切な機会になるんだと感じられたことが今回の一番のお土産になりました。

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