ウラとオモテ

「芸術の秋」「実りの秋」「食欲の秋」「スポーツの秋」「読書の秋」………うだる様な暑さから解放されて過ごしやすい気候は、みんなでどこかに出掛けるにも、今までとは異なる新しいことに取り組むにもいい季節。

 

日本以外では新学期は9月に設定されてることが多く、まさにスタートの季節です。

 

とは言え、当然のことですが出会いがあれば別れもある。9月は前向きなオーラを放つ月であると共に、その反面メランコリックな一面も。裏と表を行ったり来たり。

 

9月初旬は空気中の水蒸気が冷えて露となって白く見え、太陽の光を浴びたその露たちがキラキラ輝いている様子を表す「白露」。露とともに優しい輝きを放つ月が、より一層美しく眺められる「草露白」。

 

和歌にも秋は恋の歌が多く、虫の声が響く「夜長月」は歌が読みたくなる季節だったのでしょうか。秋の月を読んだ歌もたくさんありますが、私が気に入ったのは金紫和歌集の中の藤原忠教のもの。

 

「いづくにも 今宵の月の見る人の こころや同じ 空にすむらん」

 

今夜の満月を眺めている人の心は、どこで見ていてもきっと澄み切っているんだろうねといったまるで平和を願っている様な優しい歌に感じます。

 

月に照らされて美しく輝くことを「月映え」と言うそう。景色はもちろんのこと、月を見る心の中も月に美しく映えているとはロマンティックです。

 

ただ、届かぬ恋をしてひとり思い悩むなら、秋の夜長は永遠と思えるほどさびしい時間かもしれません。秋の歌は和歌だけでなく、現代も世界的にも切ないものが多いのです。

 

友人に「秋の歌といえは?」と質問したところ、「フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの秋の歌と太田裕美のSeptember、松任谷由実の9月には帰らない、かな。」という返事が。

 

日本の2つは聞いたことがある様な…。改めて聞いてみると、どちらも切ないお別れの曲でした。

 

そして、ポール・ヴェルレーヌの秋の歌(Chanson d’automne(シャンソン・ドートンヌ))は1867年に出版された自身初の詩集「サテュルニアン詩集」の中で発表されたものだそう。様々な方々に翻訳されていて、人気のほどがうかがえます。

 

落ち葉が風に吹かれて、あちらこちらに彷徨う様子がうら悲しく目に浮かぶ。

 

秋の訪れは一進一退、涼しくなってきたかと思っても、また暑さが舞い戻ってくる。季節の変わり目はどこもはっきりしているわけではなく、曖昧な中に少しずつ自分で感じ取っていくところがまた良さなのかなと思います。

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