なごし

「言葉について考えていたら松尾芭蕉にぶつかって、今また読み直してみてるんだけど、なかなか読み進まなくて。

 

「ひーちゃん、次の旅はどこに行くの?東北に行っておいでよ。〔夏草や 兵(つはもの)どもが夢の跡〕って松尾芭蕉が詠んだ平泉には行ったことある?」

 

「中学生の時の修学旅行で行ったかもしれないけど、なんの記憶もない。そういえば、新婚旅行は松島だったよ。渋いでしょ!笑 この夏は行かれないけど、近いうちに行こうかな。

 

そんなやりとりをした友達から、次の日にこんなラインが。

 

風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎの夏の しるしなりける夏越しの祓えのことね。」

 

友人の勧めでAmazon Echoを我が家に導入したのですが、「アレクサ、いま何時?」「アレクサ、百人一首を詠んで!」と用途ほぼこれだけ

 

生活のBGMに百人一首ってなかなかシュールで気に入っていたのだけれど、さすがに続かず、覚えるまでいかず。笑 

 

結果、私の生活にアレクサは必要なかった。

 

そんな中で覚えたのは、なぜか和歌の世界では夏の詩は少なく、百人一首ではたった4首しかないということ。

 

天候が激し過ぎて情緒的になりずらい季節だったのかも、と思いつつ、現代では夏を題材にした歌は多いように思うのは情緒が関係ないからなのか……

 

それにしても夏越しの祓え……祓え?みそぎの夏ってなんだろう?調べてみると、これは藤原俊成に歌を学び、定家とならぶ優れた歌人として知られている従二位家隆の詩でした。

 

まずは、単語から調べてみることに。

 

ならの小川、これは奈良ではなく上賀茂神社のこと

 

みそぎの夏、これは一年を半分にした6月の晦日のことで六月祓(みなづきばらえ)、さらに夏越え(なごえ)の祓えとも言うよう。

 

日々の暮らしの中で、私達はさまざまな罪を犯しています。物を粗末に扱ったり、感謝や敬意を忘れたり、よこしまな考えを抱いたり。

 

そんな罪を犯すたびにそれは穢れとなってその身につき、やがては疫病や思わぬ災難という形をとって我が身に返ってくる、私達の先祖はそう考えいたようです。

 

そして、穢れがそうした禍の形をとる前に穢れを祓い清める必要があると考え、穢れを祓う行事を行うようになったんですね。

 

夏越しは名越しまたは和しとも書かれ、いろいろな意味合いがあったよう。

 

1年の半分が過ぎた時に、半年間にいろいろなものを祓い落として気持ちも新たにするという儀式はなかなか奥が深い! 

 

由来は神話の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓にまで遡るそうですが、新暦に移った現在でも6月30日ごろ日本各地の神社で行なわれている伝統行事だそうです。

 

茅の輪をくぐったり、人形を作って身体をなでて清めそれを水に流したりするよう。

 

人型と聞くと、この時期の祭事に携わっていた陰陽師を思い出しました。

  

余談ですが、京都の八坂神社の近くにあるダンデライオンチョコレートの建物は、非官人の陰陽師である道摩法師の館だったとか。

 

もちろん、今ではリノベーションされていて間取りなども全く違うとは思いますが、かつてその場所で積み重ねられてきた想いが、静かな余情のように漂っているかもしれない。

 

話を戻して、先ほどの詩の意味は、風がそよそよと吹きわたるこのならの小川の夕方は、もうすっかりと秋のような気配だが川辺の禊祓を見ると、まだ夏であるのだなぁというもの。

 

まだまだ猛暑が続きながらも、秋の風が吹くお盆明け8月末。

 

毎年毎年、夏らしいことが足りなかったなぁと思いながらも、時は流れてってしまう

 

行事で区切りを大切にしてきた昔の人たちを習って、昔ながらの季節の行事に敏感に暮らすことで、時間をゆっくり味わって過ごしたいものです。

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