8月のテーマ「なごし」でも触れましたが、言葉について考えていたら松尾芭蕉にぶつかりました。
というのも、おくの細道を書いていた晩年の芭蕉は、俳諧における「軽み」を主張していたと知り、その「軽み」についてもっと知りたかったのです。
芭蕉にとっての「軽み」とは、自然を鑑賞している中で最も豊かなもの、最も心に残る時をあえてさらりと平明に表すこと。
「軽み」では芸にならない!と批判も多かったようです。
「軽み」の対極にあるのは、古典的な単価のように花鳥風月に託して様々な脚色をした派手な俳句。
派手で艶やかなものを良しとする世の中なら、選び抜いたに日常の言葉を使い最小限の表現で書かれた「軽み」は評価されずらかったでしょう。
でも、芭蕉はただ簡素化した表現ではなく、高く心を悟って俗に還す侘び・寂びの心を持っていた。
無駄を削ぎ落とした「軽み」は、そこに到るまで何度も手を尽くし、心を尽くして向き合ったもの。
その証拠に、実際に何度も自分の句を書き直し、手を尽くしていたということが資料から分かっています。
「おくの細道」の刊行は、元禄15年。
芭蕉は元禄7年没なので、死後8年後の刊行ということ。
刊行されたものは、芭蕉の遺言により去来に送られた最終稿だったといいます。
さらに芭蕉は、弟子たちにも出来上がった句を声に出して舌の上で千回転がしなさいと教えていたそう。
芭蕉のそのさらりとした「軽み」の中に、美の中心を置いた日本の眼があったということです。
心を込めて鍛錬し抜くことで見えてくるものがある、できることがある。
世阿弥の言葉、「物数を尽くす」という表現とも繋がります。
安易な道を選んではいけない、どれだけ想いを込められたかが重要なのだなと、結果的に芭蕉の句が芸術として世に残ったことからも現れていると思います。
今までは思いもしませんでしたが、当時は批判にさらされて世の中の風潮と戦っていたんだなと。
良いと言われ評価が高いものでも、当時はそうだったとは限りません。
時代背景や、その周りの情報も合わせて調べると見えないことが見えてくるのがおもしろい。
おくの細道を読み直しているのですが、芭蕉がなにに到達し、なにを不足とし、なにを良しとしたのかを考えながら読まなくては。