すぐる。

自分にとっての贅沢な時間とはどういう時だろう。

 

 

いまの世の中において、ラグジュアリーってなんだろう。

 

 

仕事柄、こんなことを考えることが多い、時代的にかな。その物の芯を捉えないと、そこから広げていくことができないから、できるだけ全力で対象の本質的なことを理解したいと思う。だからなのか…..ふとした時になんども頭の中に出てくる自分への問いかけ。

 

 

その時々によって自分の答えが若干違うものの、わたしにとっての贅沢とは基本的には「自身の感じる力を素直に広げる力を育てること」。

 

 

 

それは、わたしにとって「選択」と「集中」。

 

 

20代前半に先輩たちとファッションカンパニーを立ち上げ、生まれて初めてのことに七転八倒しながらも経営やマネージメントに注力していたものの、自身でディレクションやデザインをすることも捨てきれず。

 

 

会社としてもファッションだけでなく飲食やヨガクラス運営など、様々なことに果敢にチャレンジしたので、会社的にも個人的にも風呂敷を広げすぎな状態。その当時も業務内容は箇条書きにすると数行で終わってしまうけれど、ボスのケアも先回りもしたかったので必死すぎる日々でした。

 

 

 

 


 

 

 

*ストリートブランドの経営(補佐)

*経理、マネージメント、店舗管理、広報、デザイン&生産業務

*自身のブランドのディレクション、デザイン、営業

(もちろん、総務的な雑務が一番多い!)

(そのほかにも知人のブランドの企画や生産なども)

 

 

 


 

 

 

30歳で独立した当初は、まだ「選択」できませんでした。

 

 

 

その時の経験を活かせるのは、ブランドや商品全体を見渡しつつディレクションをしていく「ブランディング」というものだろうと考えたのは36.7歳の時。

 

 

 

 

経営もデザインも1つのカテゴリーだけ突き詰めたプロフェッショナルではないことに自信が持てない時期もありましたが、どこか企業に就職していたら、きっとこんな濃密な経験はできなかったに違いない。ここが私にしかない経験と背景になるのではないかと。

 

 

 

独立当初の15年前に、これを理解してくれる人はほとんどいませんでしたが、自分の感覚を信じてみようと思って独立したので、「ブランディング」でいくということに迷いはありませんでした。

 

 

 

その時は自身の会社内にファッションブランドも抱えていましたが、ブランドのディレクターやデザインなどのお仕事はお断りをさせていただき、対外的には「ブランディングディレクター」として「ブランディング」に絞っていこうと決断。

 

 

世の中にブランディングという言葉が広がってきた時、ロゴマークを変えることこそがブランディングだというような認識もありました。「グラフィックデザインができないのに、この肩書を名乗っても良いのか。」という不安もありました。

 

 

 

最終的なデータにすることはできないけれど、それは広範囲のブランディングの中ではそこまで大きなことではなく、ディレクションさえしっかりできれば良いのではないか。洋服やプロダクトなど立体のデザイン、ビジュアルや店舗デザインのディレクションは長年してきたので、得意分野が違うというだけではないかと。

 

 

 

 

 

 

ブランディングを生業にする!と決めた後にも「選択」と「集中」が数多くありました。

 

 

私は「選んで買う」ことは「投票」することだと考えています。「投票」というのは、支持するとか応援するというのと同じなのですが、「投票」するくらいの意思を持つべきだと。

 

 

なんとなく「いいかなぁ」よりも、「支持したい!」と思えるものを自身のフィルターにかけて絞っていく。携わらせていただくお仕事は「投票」したいと思えるかどうかを基準にさせていただくように。

 

 

そう考えるようになってから、次世代への架け橋になるような仕事、次世代につなげていきたい工芸や農産物、地方創生などお仕事にシフトチェンジしています。

 

 

ファッション業界でのノウハウは全てをブランディングすることに直結するので、かなりこれらに活かせると思ってはいますが、畑が違うので実績のない他業界に転職活動しているようなものだと感じますが、そこは逆に楽しんで行けたら。

 

 

 

 

 

 

 

 

前置きが長くなりましたが、

 

 

とある広告の企画で、多摩川の源流の地である小菅村に行ってきました。こういったお話をいただけたのも、私の選択を見てくれている人がいたから。

 

 

小菅村は多摩川の源流だそうですが、東京都民がお世話になっているはずの多摩川の出どころを知らなかった………。東京から1.5Hの近場にこんなに五感を刺激してくれる場所があるなんて、この素晴らしい機会をいただくまで知りませんでした。もちろん、この村の存在も知りませんでしたが。笑

 

 

この旅の趣旨は「自分本来の力を取り戻し、豊かな時間を過ごす旅」を通じて、豊かさとは何かを考えるというものでした。

 

 

 

 

小菅村は人口700人足らずの小さな村です。

 

 

95% は森林という豊かな自然に囲まれたこの村は、ミズナラやブナ、シオジなどの原生林が存在し、その豊かな森林には、ツキノワグマやニホンジカなど大型哺乳類が生息しています。

 

 

また、天然記念物に指定されているニホンカモシカやヤマネ、ヤマセミやクマタカなどの野鳥、カタクリ・ヤナギランなどの数多くの山野草も自生し四季折々の花で訪れる人の目を楽しませてくれます。

 

 

昭和62年から「多摩源流」をキーワードとして村づくりを行なっています。それは、きれいな水を守るための下水道の整備やハイキングコースの整備など、自然と共存しながらその恩恵を十分に味わえるもの。

 

 

 

今回の旅では、自然の中に佇む、古民家をリノベーションしたお宿NIPPONIA小菅にお世話になりました。

 

 

NIPPONIAは各地に点在して残されている古民家を、その歴史性を尊重しながら客室や飲食店、店舗としてリノベーションを行い、その土地の文化や歴史を実感できる複合宿泊施設として再生している各地にあるお宿。

 

 

この小菅町のお宿は、江戸時代末期から続く築150年超の地元名士の邸宅を改修した客室4室及び22席のレストランからなる古民家ホテル。地のものを中心として「二十四節気七十二候」を取り入れたお食事を出してくれるのが特徴の1つです。

 

 

地球は太陽の周りを一周する時間の長さを一年とするのが太陽暦。月が新月から次の新月になるまでを一ヶ月とするのが太陰暦。明治初期まではこの昔ながらの太陰太陽暦が親しまれてきました。

 

 

「二十四節気七十二候」は細やかな季節の移ろいが取り入れられた自然のリズムに寄り添うもの。なので、旧暦のある暮らしを体験させてくれるお宿なのです。なんと1週間に一度献立が変わるそう。

 

 

 

シェフのお話で印象的だったのは、「旬」についての考え方。

 

 

一言で「旬」といっても、収穫の時期によって「はしりもの」「さかりもの」「なごりもの」の、3つの時期があります。和食では「はしりもの」が話題となることが多いですが、こちらのレストランでは3つの時期すべてを取り入れ、変化する食材の表情に合わせた調理をし、一番美味しく食べられる料理を出しているのだそう。これも、少量生産の小菅村ならではの工夫だと思いますが、自然と共存するということをより感じられるのではないでしょうか。

 

 

ちょうど私たちが訪れた時は「大寒 − ふきのとう華さく」

 

 

蕗の花が咲き始め、春の準備が着々と進んでいる時季。川魚や裏庭で取れた、その土地の新鮮なもので丁寧に調理してくださった滋養たっぷりの美味しい食事は、東京ではいただけないスペシャルなものでした。

 

 

 

 

 

 

現代人は知らず知らずにストレスが溜まり、感覚を察知するアンテナを自分で片付けてしまっていることが多い。

 

 

自分で納得のいく「選択」と「集中」をするには、まず自身をニュートラルな状態にしなくては。堂々巡りだけれど、「選択」と「集中」をしないから知らないうちにストレスが溜まる。

 

 

感覚は鍛えないと衰退してしまうからこそ、「自身の感じる力を育てる」ことを意識的にするということを日常に置いていたい。

 

 

わたしにとって贅沢な時間は、これです。

 

 

「自身の感じる力を育てる」時間を持つこと。そして、それによって「選択」したものに「集中」すること。

 

 

   

 

大自然の中に身を置くだけでなく、自然と共存しながら暮らしている土地の方々と交流させていただいた時間が、かけがえのないものになりました。特にわさび畑を訪れて農家さんと交流させていただいた時間は、心も身体も洗われるようでした。

 

 

また、山葵の白い花が咲く夏に訪れたいと思っています。 

 

 

人生はもっともっと狭くてもいい。

 

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