かさね

日本人は古来から自然崇拝=アミニズムの信仰でした。

 

例えば、奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社は大物主神を祭神とする神社で、そのご神体は三輪山、崇拝者は鳥居を通して御神体の三輪山を拝礼します。

 

その由来は「古事記」にあり、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れて、国造を成就させるために「我を大和の青垣、東の山の上にいつき祀れ」と三輪山に祀られることを望んだとあります。

 

「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれていたようです。現在でも、大神神社は大物主神が山に鎮まるようにと「本殿」を設けずに三輪山そのものを信仰の対象にしています。これは山岳信仰のひとつで、そのほかにも富士山信仰・浅間信仰・白山信仰など同様の例が多くあるもののひとつです。

 

ご祭神がお山に鎮まるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初の神祀りの様を今に伝えており、その祭祀の姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。(大神神社公式hpより)

 

勿論、山だけではなく樹木信仰、巨岩信仰、海神信仰などこれらの信仰の対象には、注連縄や白幣をかけて御神体であることを表しています。

 

こうした古くからの自然信仰が色彩にも表れています。先人たちは、「アカ」「クロ」「シロ」「アヲ」の4原色を純粋色彩語とし、他は植物、や鉱物からとった染料を色名として便宜的に用いたり、自然そのものを色を表現するために代用していたりしていました。

 

この4つの色名はもともと色を表す言葉に由来するのではなく、光の色から生まれたという国文学者もいるようです。古事記や日本書紀にも色にまつわる様々な物語が記述されています。神話に出てくる神を色に例えているものもあり、色と神話の強い結びつきを感じます。

 

植物に由来する代表的な色名は、紅、紅梅色、桜色、櫨染(はじぞめ)、刈安、杜若、緑、藍、紫、蘇芳、クチナシなどなど。人々はその植物由来の色名の中に自然信仰を巧みに織り込み、愛でていました。

 

日本の色は自然信仰という精神から豊かに発展してきたけれど、日本の服飾のデザインはどのように育まれてきたんだろう。遣唐使が廃止され、すべてのお手本だった大陸風の文化たちが入ってこなくなり、自分たち独自の文化を模索し築き上げていった平安時代。国風文化が生まれ、住環境と共に服装も動きやすいものに変わっていきました。こうして唐風の朝服が日本式に変容したものが「束帯」です。

 

平安時代中期には、曲線が美しくゆったりとしたものが好まれ服は幅が広くなります。平安時特徴としてはグラデーションなどで色が重視されます。これによってただゴージャスなだけではなく、上品さや雅やかさも増しました。後期には政治体制が新しくなったことであらゆることが自由になり、装束にも新しいセンスやアイディアが見られるように。

 

この時代から女官の装束の合わせ仕立ての衣の表裏のきれを「かさねの色目」といい、衣の色を幾重にも重ねるということだけで季節を、装うことを楽しんできました。400年もの間続いた平安時代の衣装は、染色や織物の技術の発展だけでなく、その時々の流行りに合わせて彩豊かな色彩感覚も育まれてきたのでしょう。

 

「かさねの色目」には3種類の意味があります。

 

●重色目
(合わせ色目)

表の色と裏の色の組み合わせ。

当時の絹は薄かったので裏地が透けたため複雑な色彩を楽しむもの。

 

●襲色目


いわゆる十二単のような重ね着で、重なる色彩のグラデーションに。

 

●織りによるかさね色目
(織色目)

反物を織る段階で縦糸と横糸の色を変え、玉虫色の色彩を楽しむもの。

 

身近な四季をお手本に装束の着こなしを奏で、ちょっとしたかさね方で自分らしさを競っていたと思うと、個性を大切にしていた様が想像できます。そして、四季共通では松重・香・胡桃色・秘色などがありますが、基本的には四季それぞれのかさねの色があります。

 

●春の襲

梅・柳・すみれ・桜・桃・ツツジ・山吹・藤・ボタンなど

●夏の襲

卯の花・杜若・撫子・菖蒲・百合・薔薇・桔梗など

●秋の襲

荻・紫苑・もみじ・菊・ススキ・朽葉・白菊など

●冬の襲

枯野・枯色・氷・雪の下・椿など

 

例えば、桜の季節には表は白で裏に紅色を用いて裏の赤がほんのりと透けて桜色に見える「桜襲」の重色目。秋には表を濃紅で下に濃黄を用いた「朽葉」など、代表的な襲色目は120種もあるそう。

 

季節はいつも新しく巡ってきます。「季節」と「色」を組み合わせて、美しい「言葉」で語る。「色」のバリエーションは無限大!季節と向かい合いながらちょっとしたかさね方で自分らしさを楽しむ。自分のこころを表す。自分をアピールする。

 

季節にあった装いをすることは、自らのアイデンティティや知性、教養を表現すことでもある。そして、自然への感謝と畏敬を表す心ある手段です。時に合った装いは自然と同化することでもあったかもしれません。

 

この考え方は、今の時代でも同じこと。流行に左右されることなく、自然や自分の対話でコーディネートを装いを考えることは、目に見えている以上に豊かな世界が心の中で育っていくように思います。

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