東京のわりとど真ん中で生まれ育った私は、ここ、東京には日本中のどこよりも優れたものが何でもあると勘違いをしたまま大人になりました。
もちろん、両親からそんな教育を受けたわけではありません。
小学生の時、都庁が有楽町から私の住んでいた新宿区に移った時に、「日本の中心である都庁が新宿に来たと言うことは、新宿は日本の真ん中ですよー。」と先生が言ったことは、ひょっとしたら少しだけ影響があったかもしれない。
自分をブスすぎてどうしようもないと思い込んでいた私は、容姿以外はなんでも1番になりたくて仕方がない子でした。そんな少し曲がった幼い心には、真ん中という言葉は1番とも聞こえて少し嬉しかったものです。
あの頃は今と違いネットもないので、映画が巡回するのも地方都市によっては半年後なんてこともあり、「新宿は日本の真ん中ですよー。」を鵜呑みにするのはどうかと思いますが、東京が中心に日本は回っていると、なんとなく感じながら育ちました。
ただ、私が生まれ育った場所は新宿区といっても住宅地だったので、文房具屋か薬局くらいしかないし、知らないおじさんとすれ違うことも稀。
「いつかおしゃれな街に行きたい!」「いつかここから脱出してやる!」と悶々する日々。
同年代の誰よりも流行に敏感でいたくて、誰よりも早く大人になりたくて、誰よりも早くちょっと悪いこともしてみたくて。
東京じゃなかったら、ニューヨークに住みたいと思っていた中高時代も含め、この人生の10分の9くらいは田舎には住めないと思っていました。
大変残念なことに、女子高生ブームも手伝って、“日本は渋谷で遊んでいる私たちが流行を引っ張っているんじゃないか”、“都会がすべてのものを生み出しているんだ”って勘違いしていたんですよね。
井の中の蛙だったと気づいたのは、もう少し大人になってからでした。
もちろん今では、歴史を学ぶたびに、彩り豊かで個性的な地方を訪れるたびに、その佇まいに感動し、「ここから始まったのか!」と毎回発見と勉強の日々。
まさに、毎回意識改革をされているよう。
旅をするたびに、自分の中の新しい何かに出会えるような気分になるのです。
そして、行く先々で様々な価値観に触れていく中で、今まで気がつかなかった自分の足りないカケラが補われ、人生のカタチがもっと明確になっていくのではないか、いつの日からそんな風に感じるように。
自分探しの旅、ではなく、自分の居場所を見つけるための旅、です。
とはいえ、過疎化や地方工芸は厳しい現状にさらされています。環境やそこに住む人々の工夫によって生まれた文化を絶やすことは簡単なこと。でも、できるだけ今の土壌に至るまでの経緯を良い形で残せたら、と思うようになりました。
アパレルカンパニーを経営していた私は、日本の伝統的で特徴的な織物や染色、型などを会社が後継者問題や経営不振でなくなっていくのを間近で見ていました。
何か大切なものを失ってしまうかもしれないという危機感を肌で感じてはいるものの、求められなくなって消えていくのは仕方がないことのように感じてしまうことも。
文化とは日々の暮らしの中に生かされてこそ、理解されて受け継がれていくもの。
長く続いていることと、良いことは直接的に同じではない。ただ、今という現状を作り上げてきたプロセスやルーツを知っていること、忘れないことには深い意味があるのではないでしょうか。
そして、それを自分なりに伝えていけたら、きっと前に、先にと繋がっていくはず。
とはいえ、自分が日常的にできることといえば、それらを買う、使う……選んで消費することで応援することくらい…
できるだけ良い循環をもたらすため、自分が見えている未来のビジョンを今と比べた時の差異を少しでも埋めるような行動をしていきたいです。
人は言葉を使って、深く考えることができるようになり、その考えを人と共有することで進化してきました。その共有や共感できることこそが、人としての豊かさだと感じます。
言葉の持つ「深さ」や「情緒」から湧き上がる繊細な感情を見逃さないよう…
HINATAでは、自分の中でたゆたう感覚を言葉として捕えていきながら、カタチの素を見つける旅を綴っていきたいと思います。